【いいじまの歴史を知ろう】町史を語る案内板『フェラース通り』

こんにちは!飯島生活も8年目の春を迎えます。年子男児の母、あさです。
4月にはいよいよ長男が小学生になります。
先日、出勤途中にふと『フェラース通り』の通称名看板が目に入りました。
通り名の下には「国際友好姉妹都市締結を記念してここに命名する」と1986年10月の日付で記されています。2年ほど通った通勤路なのに新鮮な発見でした。

この看板は飯島駅から南に170メートルほど行った十字路に設置されています。
通りの長さは220メートルほど、歩いて3分くらいの距離です。せっかくなので散策してみました。



普段、歩くことが少ないため、久しぶりにじっくりマンホールを見ることができました。
デザインは「信州飯島陣屋」と町花の「シャクナゲ」です。
陣屋は江戸時代のお役所であり明治時代のはじめは県庁としての役割を担っていました。
現在では歴史民俗資料館「飯島陣屋」として開館しており、折に触れイベントも開催されています。
冬にしては暖かな日差しが心地よい静かな町なかを、ゆっくり歩いても5分とかからず町道(都)飯島7号線と合流しました。

こちらの通り名の由来と友好姉妹都市になった理由が気になって、飯島町誌で調べてみました。
まず、「フェラース」というのはブラジルのサンパウロ市に隣接する市の名前で、正式な名称はフェラース・デ・バスコンセーロス市といいます。
なぜこの地域かというと、飯島町から海を渡った多くの移住者が生活をしていたからでした。
時をさかのぼり明治41年、国際情勢の急激な変化を受け、国を挙げてブラジルへの移民が推奨されるようになります。長野県からも人口増加の対策の一つとして海外発展の気運がより高まり、入植地を整えて当時まだ村であった飯島町から初めての移住者が渡航したのが大正7年でした。
それから時を経て昭和に至り、飯島町出身の一世の方が飯島町長に宛てた手紙をきっかけに昭和50年5月20日の姉妹都市の提携へと発展します。
その時のフェラース市長は手紙の送り主であった方のご子息、飯島町出身の二世の方でした。
今回フェラース市について調べる中で、他に友好都市として奈良県の斑鳩町(いかるがちょう)があり、三重県鳥羽市とは災害時応援協定が結ばれていることを知りました。

町誌を眺めながら、毎日当たり前に暮らしている景色の中にも謂(いわ)れがあり、歴史あって今の町があることに改めて思い至りました。そう思うと、今でも毎年行われているどんど焼きやまゆ玉づくりといった年中行事は、先人からバトンを繋いだ貴重な文化の一環だと感じます。
この機会に町歩きをしてみて、実際に史跡を訪ねたり行事に参加したりといった体験を通してもっとこの地域を知っていきたいと思いました。